あ.い.さ.つ.blog

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【中華半端】

2020年に栃木県芸術祭に出品した短編小説です。転職支援の仕事をしているので、その経験の一部を盛り込んで仕上げました。テーマは「親孝行」子どもが想う親孝行、父親が想う親孝行、それぞれの想いを表現したつもりです。一読いただけますと幸いです。

 

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今日も最高気温は35度になる予報だった。15時になったが一向に気温が下がる気配がない。炎天下、新は休憩中に本屋に行って珍しく本を買い「仕込み中」の札をぶら下げた店に帰った。店の後ろは森なので、相変わらずセミが騒々しく鳴いている。

親父は業者らしい男と打ち合わせをしていた。親父は一瞬だけこちらを見て「おう、シンか」とだけ言ってまた打ち合わせの続きに戻った。親父が話している男は初めて見る顔であったが、店の前に停めている車や作業着から判断すると、リフォーム業者であることは明らかだ。新はいつもだったら店の中を通ることなく、家の玄関から二階に上がっていくのだが、今日はあえて店の入口から入って客席を通り過ぎ、意味もなく振り返り、いつになくゆっくり厨房の脇を抜けて階段に向かった。

新が見る限り、親父と業者は客席の中央に立ち、テーブル席や座敷、厨房を指しながら明らかに店のレイアウトについて打ち合わせをしていた。業者の手にはメジャーがあり、客席にはノートを広げている。

店は14時から17時に一度店を閉めて、休憩しながら夜の営業に向けて準備をしている。仕込みだけでもやることが多いのに、その時間を削ってまで何を打ち合わせしているんだろう、と新は考えていた。今後は自分も店を手伝うことになるので、そのときに向けて内装やレイアウトを一新するのかもしれない。だとしたら、親父は自分にも意見を求めるような気がする。親父と新の男2人で厨房に入るには少し狭いので、厨房内のスペースを広げるのだろうか。しかし厨房を広げるとその分客席が狭くなるはずだ。むしろ、厨房に男2人が入ることになるので、客席数を増やすことを考えているのだろうか。ただし、この案もピンとこなかった。客席数をこれ以上増やすには通路を狭くするか、座敷を取り払うかしなければならないだろう。親父がそんなことするだろうか。料理を運ぶのは母だが、今以上に通路を狭くしたら危なくなってしまう。母は両手でシルバーのトレイを持ちラーメン3人前は一度に運ぶので、間違いなく反対するだろう。いつもは明るく笑っている母もさすがに怒るんじゃないかな。新も学生時代から手伝ってはいたが、トレイを持って客席まで運ぶのはなかなかしんどい。食べ終わった食器を片付けるのは、空いた丼や食器をたくさん重ねるのでもっと重い。

「何やってんだろ」新はまた考えた結果、電気工事かエアコン工事か何かちょっとした修理なのかな、そんな結論に達した。

 

あと30分経ったら、夜に向けた仕込みを手伝おう。新はベッドに寝転がって、さっき買った住宅雑誌をパラパラと眺めてみる。住宅業界にはこれまで縁がなかったが、来月から親友の紹介で住宅営業として勤めることになった。住宅営業は基本的に火曜日と水曜日が公休なので、週に2日は店を手伝う予定でいる。週5日は住宅営業、残り2日が店の手伝いなので新にとっては年中無休状態だが、これまでも休みがあるようでないようなシフト勤務で立ち仕事ばかりだったので、あまり心配していない。初めて挑戦する住宅営業は売れるようになるまで大変かもしれないが、新はまだ30歳、店が一番忙しい昼に手伝うだけなので無理をしなければいいことだ。お盆や年末年始など長期連休も店は開けているので、団体客が入るような何日間かは手伝おうと思っている。これまで東京で一人暮らしをして、やりたいことをやってきたので、新にとっては最大限の親孝行のつもりだった。

 

今年の春、東京から「栃木に戻ろうと思っている」と親父に相談した。電話越しではわからなかったが、おそらく親父は嬉しかったに違いない。一人息子が実家に戻ってくる。これまで店を親父と母の2人で店を切り盛りしてきたので、寂しい思いをさせていたことだろう。いくら常連の客と楽しく話していても、2人で暮らすよりは3人の方が生活に張り合いがあるのではないか。

 

引っ越しや退職の手続きなどを終わらせて実家に戻ってからは、新はほぼ毎日店を手伝った。店は一言で言ってしまえばラーメン屋なので、昼はサラリーマンや工事現場の職人が大勢訪れる。嵐のような1時間で、新は料理を運んだり食器を下げたり、洗い物をしたりで気が付いたら14時だった。1時間で30人前後の客を2人でこなしていたのだから今更ながらびっくりした。

夜はやっぱりサラリーマンや近所の客が歩いて来て、飲みながら餃子を食べて最後にラーメンで締める、このパターンが多い。ラーメン屋であれば、忙しさの種類は東京も栃木も変わらない。ただし、常に新しい店がオープンする東京よりライバル店が少ないことは良いことに思える。

新は徐々に料理の作り方を覚えてきて、厨房に立つ時間も増えてきた。親父から餃子の焼き方を徹底的に教わった。親父は何から何まで喋るタイプではないが、冗談なんかも言いながら大事なポイントを絞って教える。おそらく人に料理を教えるのは初めてだろうが新にとっては何年も見てきた動作なのですんなり覚えることができた。最初に餃子を教わったのは仕込みさえ間違えず機械が壊れなければ、まず失敗しないからだ。しかも失敗すると、見ればすぐにわかるので、親父にとっても変な料理が提供されてしまう心配がない。

 

6月になり梅雨の季節になると、帰ってきた店の一人息子が常連客をびっくりさせた。最初のうちは「おう、帰ってきたのか」「いつまでこっちにいるんだ?」と正月の挨拶みたいなやり取りが多かったが、2週間もすると新が厨房にいることが当たり前の風景になった。

ほとんどレシピの確認をすることなく作れる料理が増えてきて、ラーメンであれば同時に3人前くらいは作れるようになった。母やレジに入っているときにはすばやく料理を運ぶのを手伝い、帰りがけにテーブルをきれいに片付けて厨房に戻る。テーブルの醤油が切れそうになっていたらすばやく交換した。常連客が注文する声を聞いて、母から伝票を受け取る頃には、すでに料理を作りはじめており、料理が完成してから母を呼ぶのではなく完成する10秒前に「3番さんの餃子です」と呼ぶことで、母が客席の片付けから厨房に戻ると同時に料理が完成した。たまに6人の団体が来店して一度に注文してきても、母親が料理を運ぶときに往復回数が最小になるように工夫した。ラーメンを3人前ずつ完成させることで、母が2回の往復で済むことにこだわった。

親父は炒め物やチャーハンなど難易度の高いものを黙々と作り、母は客席で愛想よく客をもてなし、新は店全体がスムーズに回るようにコントロールする、そんな絶妙なバランスが出来上がりつつあった。そのことを常連客も察知するので、新のことを褒めようとするが、今まで東京に出ていたことに引け目を感じて、新はうまく言葉を返すことができなかった。

 

そんな調子で新が栃木に戻ってしばらく経ち、本格的な夏が訪れた。新はとりあえずUターンすることだけを考えて実家に戻ったので、そこから先を真剣に考えなければならなかった。このまま親子3人でラーメン屋を続けるのも悪くない。だけどもし今後結婚して自分が家計を支えることになったらどうしよう。さすがに街の小さなラーメン屋の売上では足りないのではないか。そんなことを悩んでいる矢先、地元の親友である徹と飲みにでかけた。栃木に戻ってから徹と飲みに行くのは2回目だ。

「なあ徹さ、住宅営業って面白いんか?」

徹が新築住宅の営業で働いていることは以前から知っていたが、新は今後の仕事をどうするか考えていたタイミングなので、試しに聞いてみた。

「そりゃ大変だよ。客だってネットで検索してから聞いてくるから、下手なことは言えないし、やっと契約寸前ってところでライバルに取られることだってたくさんあるし」

「そりゃ大変だ。そんな仕事なんで続けてるんだ?」

「一緒に打ち合わせをしているときは面白いかな。人の家ではあるけれど、土地を探して資金計画を考えて、それから間取りをどうしようか、みたいな感じかな。考えることがものすごいたくさんあるんだよ」

「へえ」

新は聞いておきながら「へえ」くらいしかリアクションができなかった。気持ち半分くらいしか納得できなかったが、それを徹は察したのだろう。

「でも周りで住宅営業を続けてる連中の本音は、やっぱ稼げるからかな。1棟売ったらちょっとしたボーナスくらいはもらえるしな」

「やっぱり金じゃん」

「でも、俺の場合は何組も一緒に相手していることが面白いかな。もちろん家を売るんだけど、どんなに早く決めても半年はかかるから、その間にバンバン客の問い合わせがやって来る。だから午前に伺った客はほとんど完成して引き渡しの準備、午後の客は現地見学をして土地を決めるところから、みたいにバラバラなことを同時にやるのが面白い人には面白いと思うよ」

「へえ、俺にもできるかな?」と意味もなく聞いてみた。

「いやいや、シンには無理だよ」

「なんでだよ」

「だって東京ではレストランでばっかり働いて、今も店を手伝ってるんだろ。たぶんそういうのが向いているんだよ」

徹の言っていることは、おそらく他の友達でも言いそうなことだ。しかし徹の「シンには無理だよ」って一言は忘れられない。どうにか見返せないだろうか。

 

徹と飲んだ次の日も朝から仕込みを手伝いそのまま昼の忙しい時間帯に突入した。今日も12時ちょっと過ぎには、近くの工事現場で働いているだろう職人が、4人連れで店に入ってきた。母は一応形式的にメニューを2部持っていくが、水の入ったグラスを置いている途中で、まるで仕事中に練習していたかのように「日替わり」「俺も」「俺も」「俺も」とテンポよく注文する。すでに新は、お盆を4枚カウンターに並べて、それぞれに小鉢を置いている。親父の野菜炒めの完成に合わせて茶碗にご飯をよそって、わかめスープを注ぐ。次に入店したサラリーマンがメニューを指した位置だけ見て、味噌ラーメンを作りはじめる。いつも味噌ラーメンを注文する常連客も来店したので、途中から2人前を同時に作るように切り替える。麺だけ先に茹ではじめて、一応その常連客が本当に味噌ラーメンを注文することを確認してから、味噌スープを2人前用意する。

今日も新が気の利いたフォローをすることで、店全体がスムーズに回っていた。新は餃子を焼きながら、仕事が好きというよりは、同時に発生するいろいろなことを考えるのが好きなんだと自覚していた。

徹と話したことがきっかけではあったが、住宅営業に挑戦してみたくなってきた。もちろんいきなり30歳の業界未経験で、簡単にできるとは思っていない。しかしこれまでずっと飲食業で接客してきたので、どんな客だろうとテンポや内容を合わせて話せる自信がある。たくさんの客と商談を並行しながら、徐々にゴールを目指している住宅営業にやりがいを持てる気がしてきた。

徹の「シンには無理だよ」という一言を見返してやりたい気持ちもあったが、心のどこかで「あいつに勤まっているんだから、自分にもできるだろう」という根拠のない自信もあった。 

 

そうと決まれば早かった。スマホで求人情報を検索していたが、未経験でも応募できる住宅営業に絞って検索したら3社しか候補がなかった。徹の勤めている会社はなんとなく避けて、ホームページが今風の会社に決めて応募した。

面接を受けたら意外と「やる気がありそうだから、営業もできそうだね」という評価を受けた。次の日には内定の連絡を受けて、すんなり来月、9月1日から働くことが決まった。ここまでわずか数日の出来事だったので就職先も入社日も全部決まっている状態で両親には報告した。

夜の営業も終わり、3人でいつものように遅めの食事をとっているタイミングで、新は考えていることを全部話した。

店の手伝いは思っていたより面白かった。少しは親孝行ができたんじゃないかと思っている。来月から住宅営業の仕事に就く。徹と話していて、どうしても挑戦したくなった。住宅営業は火曜日と水曜日が公休なので、その日は店を手伝いたい。お盆や年末年始も手伝える。休みがなくなるので大変かもしれないが、店の手伝いは慣れてきたし楽しいので両立できると思う。

母は「そんな、家を売るって大変じゃないの。できそうなの?」と心配してくれたが、基本的に母が反対しないだろうことは想定していた。

親父は最後に「どうしても営業がやりたいのか?」と聞いてきたので、新は勢いで「どうしてもやりたいんだ」と答えた。「どうしてもやりたいのか?」という質問は新には重く感じたが、やっていくうちにどうしてもやりたい仕事になるだろう。

「じゃ、いいんじゃないか」

それだけ言って親父は部屋を出た。いつものように真っ先に部屋を出ただけかもしれないが「どうしてもやりたいのか?」という重い質問にしては、あっさりと話が終わったことに少し違和感があったが、何にしても親父にとっても悪くない話だろう。

一人息子は外に出て営業としてそれなりに稼いでくる。店は相変わらず母と切り盛りすればいい。週に2日は新が手伝うので、体力的にも気持ち的にも楽にしてあげられると思う。自分も何年か手伝ううちに、若い客向けの中華料理を「新」メニューとして考えてみたり内装も今風にアレンジできるだろう。

 

外では相変わらずセミが大合唱だ。親父とリフォーム業者がメジャーを持って打ち合わせをしている上の階で、新は住宅雑誌をパラパラめくる。新が生まれたときには、すでに両親は中華料理の店をはじめていて、家を新築するという場面に関わったことがない。雑誌を読む限り、家を新築するタイミングは、結婚して子どもが生まれてまだ小さいうちに35年前後のローンを組んで建てることが多いようだ。そう考えると、今現在大勢のサラリーマンが住宅営業として働いているとしても、ほとんどのサラリーマンは客として住宅購入に関わったことがないはずだ。ライバルは多いだろうが、新にとっては30歳からのスタートはあまりハンデを感じなかった。

両親はいつもバタバタしていた。小さい新の目には、父親はいつも炎の前でフライパンを振り回し、母親は両手でシルバーのトレイを持ってラーメンを運び、誰も座っていないテーブルを拭いている、この風景が新の覚えている最初の記憶だ。10歳になるまでは祖母が一緒に住んでいたので、夕飯は祖母と2人で食べていて、2階の布団に入る頃になると母親が寝室に来てくれた。住む場所と両親の仕事場が一緒になっていることで、少年の新にとっては全然寂しくなく、友達にもちょっとした自慢だった。

あまり何も考えずに「大人になったらお店屋さんやるんだ」と言っていた。ラーメン屋を継ぐ意味なのか、自分の店を持つことなのか、どちらにしても新にとっては、働くとは店で客をもてなすようなイメージだった。 

新が少し真剣に将来のことを考えるようになったのは中学2年生になったときだった。学校でいきなり「自分のことを知ろう」「どのような高校や仕事があるのか知ろう」と考える授業があった。最初どういう意味なのかわからない授業だった。新としては「高校や仕事って自分で考えて選ばなきゃならないんだ」とわかった気がしたが、結局もっとも近所の高校であれば遊べる時間が多いかな、と受験校を決めたので授業の意味はまるでなかった。 

新は栃木県の高校を卒業して、好奇心だけで東京のレストランに就職した。東京に行く仲間も多かったし、多少仕事が辛くても、新しい仕事なんていくらでもあるだろうと思っていた。何より夜の街ってどんなに楽しんだろう、想像するだけでワクワクしていた。学生時代、東京に行くときはいつも昼だった。しかも親付き。仕事の中身や住む場所はどうでもよくて、東京の街を探検したい、まるで子ども探検隊のような気分だった。テレビで見る東京の夜景はキラキラしており、そのキラキラの下ではスマートなスタイル、オシャレなスーツに身を包んだ大人の男性や女性、表情はぼやけているが、とりあえずハンドバックなんか持って楽しそうに練り歩く。新の東京に対するイメージはそんなものだった。

両親は新の「高校を出たら、とりあえず東京に行きたいんだ」という進路には最初からいい顔をしなかった。しょうがなく「東京のレストランで修行して、ひょっとしたらラーメン屋の跡を継ぐかもしれない」という取って付けたような説明は、明らかに薄っぺらかった。

セミの声で呼び戻される。そういえばあのときも親父は「どうしても東京に行きたいのか?」と聞いていた気がする。親父は「ならいいんじゃないか。頑張ってこい」と最後は応援してくれた。住宅雑誌をめくりながら、住宅のことを考えたり両親のことを思い出したり、忙しい休憩だった。すでに両親が夜の営業に向けて仕込みをはじめている時間だろう。新は立ち上がり手ぬぐいを頭に巻いた。

 

次の朝、店の玄関に貼り出しがあった。

 【9月1日~7日まで臨時閉店】

9月1日といえば、新が新しい会社で勤めはじめる日だ。「やっぱり何か修理でもするのかな」と思ったが、そのまま何も聞かずに昼に向けて準備をはじめた。 昼になり、また常連客が次から次へとやってきた。新が厨房から客席を見る限り、臨時閉店について聞くサラリーマンは1人もいなかった。臨時閉店なんて、これまでもよくあったことなのだろうか。13時を過ぎて、たまに来るおばちゃん客がやっと「臨時閉店って何なの?」と聞いてきた。母が「ちょっと工事するのよ」と答える声が聞こえた。

 

14時になり、いつものようにいったん店を閉めた。昼の片付けをしてから休憩をして、それから夜に向けた仕込みだ。休憩中はまた住宅雑誌を読んでいたが、ふと臨時閉店の貼り出しを思い出して厨房に戻った。親父はいなかった。母はなぜか客席を眺めている。新は聞いてみた。

「臨時閉店って何するの?」

「客席を小さくするのよ」

客席を小さくする?新には意味がわからなかった。

「どういうこと?」

「客席を15席くらいに減らして再開するみたいだよ。ほとんどあの人が決めちゃっているし、よくわからないけど。座敷も無くすって言っていたかな」

「どういうこと?」

「だからそういうこと。直接きいてみたらいいんじゃない」

その親父が店に戻ってきた。親父に「客席を減らすって何だよ」と聞いてみた。

「ちょっと来い」と入口そばのテーブルに呼ばれた。母が水の入ったグラスを2個持ってきてくれた。

「この店は俺たち2人でやっていく」と親父が切り出した。

「そんなことはわかっているよ」と新は答えた。

「お前は住宅営業をやるんだろ」

「そうだよ」

「そうなら、住宅営業だけに集中しろ。休みの日は休め。力があり余っているなら建築の勉強をするなり、やることはいくらでもあるんだろから」

「そりゃそうかもしれないけど、店だって大変だろ?」

「大丈夫だ」

「でも2人ともこれからいい歳になって、動き回るのもきつくなるんじゃないのか?」

「だから客席を減らすんだ」

新はやっと話が繋がった。だがしかし。

「シン、営業の仕事をするんだろ。営業としてさっさと一人前になれ。それが本当の親孝行だ。お前が心配しなくても店のことは大丈夫だ」

客席が小さくなりテーブルの数が半減すれば、親父の体力的な負担も半減するだろう。母も料理を運ぶ距離が短くなり、長く仕事をやっていけるだろう。それはわかるが、新はこんな展開になるとは思ってもいなかった。

なんでだよ。栃木に戻り、初めて店を本格的に手伝って、新は親孝行をしている気になっていた。店もうまく回って、これからも両親と一緒に暮らして安心させる。家計的にも住宅営業が軌道に乗れば、ずいぶんと楽をさせることができるだろう。

 

気付いたら仕込みも終わり、餃子を焼いている。ラーメンを作りながら運ぶのを手伝っている。「いらっしゃい」「ありがとうございました」とか元気に言っているが、今夜は何か頭が回らない。いつものように客席全体を把握して、先回りして考えるような余裕がまったくなかった。

気持ち的には反発した。自分が思い切って店を継げば良かったのだろうか。親父は「住宅営業やりたいんだ」の言葉に相当がっかりしたのだろうか。まさかその反動で客席を小さくしようなんて考えたのだろうか。工事が決まり、もう後戻りはできない。客席は小さくなる。両親で店を切り盛りする。自分が厨房に入ることはなくなる。もうすぐ今日の営業も終了だ。あと何日この厨房で働けるんだっけ。

「中華半端。お前が厨房に入るとそんなところだ」

「は?」

いきなり親父に変なことを言われた。まだ客が2人残ってゆっくり飲んでいる。親父と新は厨房で片付けをはじめている。

「お前は器用だからひょっとしたら、営業やりながら店の手伝いもできるかもしれない。ここ何日間のお前の働きは良かったと思っている」

「親父もそう思ってんじゃん」

「だけど、仕事ってそんなに割り切って働けるもんじゃない。昨日は営業、今日はラーメン屋、そんなにうまくいくはずない。今日のお前は心ここにあらずで、考えていることもやっていることも中途半端だ」

親父には見抜かれていた。

 

もうすぐ9月になる。今夜も熱帯夜だ。

店が終わり3人で遅い食事を済ませて、新は厨房に戻った。暗い厨房に静かに戻って、窓ガラスから入る街明かりだけを頼りに静かに歩いてみる。こんな時間に1人で厨房に入るなんて子どもの頃以来だ。あの頃は探検だったが今夜は違う。何もワクワクしない。何がどこにあるかもよくわかっている。毎日研がれている包丁。親父が研いでいると本当に切れ味が良い。東京のレストランで働いているときには、社員が包丁研ぎをさぼって切りにくくなることがしょっちゅうあった。使えなくなって買い替えるなんてざら。毎日研いで手入れすると、こんなに切れ味が長持ちするなんて知らなかった。

暗く銀色に光っているカウンター。伝票を貼るためのマグネットがあり、きれいに並べて片付けられている。どんなに忙しいときでも、きれいに伝票を並べて間違いがないようにしている。基本的に注文の順番通りに料理を作るが、おつまみや子どもの注文が入ったらいち早く提供できるように順番を入れ替えて作っている。東京のレストランでは、ハンディターミナルで注文を聞いて、直後に厨房のプリンターから伝票が印字されてきた。システムは最新だったかもしれないがプリンターは黄色く汚れていた。新人はハンディターミナルを使いこなせず、注文ミスなんて毎日起きていた。

大型冷蔵庫が不気味なファンの音を立てている。開けると、いつものように新鮮な食材が整列している。親父は仕込みの量には本当にこだわっている。量が少ないとオーダーストップの料理が出てしまう。仕込みすぎると切った野菜は元気がなくなり、スープの香りは飛んでしまう。東京のレストランでは、なんでこんなに野菜の味がしないのか不思議だった。毎日レストランにはカットされた真空パックの野菜が届いていたが、製造日付がいつだろうと野菜に味がないのは変わらなかった。何のための製造日付だったのか。

真っ黒に焦げた五徳を触ってみる。東京では新店オープンに関わったこともあるが、ピカピカのキッチンで気持ちが盛り上がるのは最初の2日くらいだけだった。

 

この店で頑張りたい気持ちはあるが、親父が積み上げてきた歴史を痛いほど感じる。ちょっとだけ手伝ったところで何にもならないだろう。

「どうしても営業がやりたいのか?」という問いに対する答え方を見て、新の気持ちが中途半端なことは見抜かれていた。今までだってずっとそうだった。親父は客席も厨房も小さくしてしまって、退路を断ってくれたのだろう。

「もうお前の戻る場所はない。営業として一人前になれ」

真っ暗な厨房にも言われた気がした。