2023年度、宇都宮市民芸術祭に応募しました「黄色い国の盾」です。扱っているテーマが、AIや戦争、その裏側の政治といった、新しいチャレンジをした大切な作品です。
女性を主人公にしたり、国内ではタブーかな?といった切り口については難しさもあったのですが、創作らしく自分なりに自由に表現してみました。
ご一読いただけますと幸いです。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
内閣特命補佐官のレイは、毎週首相に対して重要課題の進捗について報告することになっている。
「前回の続きですが、AIによる自動運転のトラブルについて報告します」
「続けてくれ」首相が促す。
首相は数々の難題を抱えているが、自動運転に関する法整備もそのひとつだ。国会において毎回のように質問が集中するテーマなので、回答の準備をしなければならない。
「自動運転に関する事故は、相変わらず交差点内に集中しています」
レイが資料を開いて、先週と同じような現状報告をした。
「解決の見通しは?」
専門家チームが結論を出せないどころか、原因さえ正確に掴めていないことを知っているはずだが、首相は結論を聞きたがる。
「交差点の形状や交通量、地域に関わらず、ほぼ一定の割合で自動運転プログラムにエラーが発生して、緊急ブレーキをかける現象が起きています。抜本的な対策が必要です」
「例えば?」
「まだわかりません。ただし、現在のデータを当てはめると、どれだけシミュレーションを繰り返してもエラーは発生して、そこに人間ドライバーが追突することになります」
レイの隣で、同じく特命補佐官のキムが割り込む。
「一般道路での検証が一区切りしましたら、解決案を掲示します」
レイとキムの2人だけになった。
「まったく素人は、専門家がすぐに答えを出せると思っている。首相が本気で聞いているのか、冗談で聞いているのか、まずはそれを聞いてみたいよ」
長い議論を好まないキムは不満そうだ。
「首相としても、自動運転が普及すれば事故が減るって散々言ってきたから、そろそろ焦っているんでしょ」
レイも内心焦っている。高速道路において自動運転車が走る分には、多くの人間ドライバーは歓迎した。交通マナーは完璧、無理な追い越しや割り込みをすることもない。一般道路上でも、自動運転車の浸透は時間の問題と思われたが、交差点に落とし穴があった。
レイは、今日も自動運転車の助手席に乗る。自動運転を前提とした道路交通法の改正を行い、安全性をさらに高めることがレイのミッションだ。運転席にはキムが乗る。いつものレイアウトだ。
様々なIT企業が自動運転の技術を開発したが、なかなか一般道路での事故が減らず、AI学習の限界論まで飛び出すなかで、レイとキムは、信号機の黄色が混乱を招いているという仮説を立てていた。
「国道四号線に合流して法定速度の90%で北上、栃木県内に入ったら、最初の道の駅に駐車」
キムが自動運転車に話しかけて、静かに走り出した。都内の繁華街を走る。すれ違う車を眺めると、自動運転車が数台に一台は走っている。もうすぐ大きな十字路だ。信号が黄色に変わり、レイのすぐ目の前を走っていた車は、そのまま減速して停車する。その隣の車線では「赤にならなきゃセーフでしょ?」と言わんばかりに加速して、ギリギリ赤信号に変わる前に交差点を渡り切っていた。
しばらく走った先の交差点で、信号が黄色に変わった。さっきは丁寧にブレーキをかけていた目の前の車が、一度減速したと思ったら急加速して、どうにか交差点を渡り切った。自動運転車が世に出回った頃は、人間の不思議な判断や動きでさえも、AIに覚えさせてしまえば、いつかは交差点のトラブルは減るだろうと思えたが、現実は簡単ではなかった。
キムが発案して、人間ドライバーに行ったアンケート結果は、専門家チームに衝撃を与えた。まさか過半数の人間ドライバーが「自動運転車とは一緒に走りたくないほど、動きが不自然だ」と回答していた。警察や保険会社が、事故を起こした車のドライブレコーダーを検証しても、当然のように自動運転車は道路交通法を守っている。人間ドライバーの方に過失があるということで、全件落着するはずだったが、追突した人間ドライバーの主張はこうだった。
「あんなタイミングで止まったら、追突するに決まっている」
「黄色になったとしても、早く渡り切った方が安全なケースがある」
このように、ドライブレコーダーの映像だけでは判断できず、数字でも表せない反論が収まらなかった。
レイが自分の手で運転していた頃は、強引な割り込みをしてきた車に対して、危ない車だから距離を取ろう、と避けて走っていたが、キムに聞いてみたら「迷わずクラクションを鳴らす」と言っていた。わざとその車を追い越すこともあるらしい。レイが想像している以上に、人間は感情的に判断して運転しているようだ。
もう何週間もレイは、自動運転車の助手席に座ってあちこちを走り、望遠カメラを使って、対向車を走る人間ドライバーの目の動き、顔の動きにフォーカスして観察している。キムは運転席に座り、自動運転と手動運転を切り替えながら、レイと議論を進める。信号機の黄色について、何十回話し合っただろうか。
人間ドライバーは交差点で黄色になると
・停止線で止まれるスピードなのか
・急がなければならない状況なのか
・他の車がどのような反応をするのか
この3つの確認を一瞬にして同時に行っているようだ。ところが、赤信号で停車してからちょっとやっておきたい用事があると、積極的に止まることもあるから、ややこしい。論理的には説明できない現象が多すぎる。データ上でもレイの感覚的にも、日本人は自分の都合と周りの動きを考えて、バランス良く判断することに関して長けている。だからこそ、信号機の黄色のような曖昧な状態があった方が、スムーズに運転できるのかもしれない。
「黄色を廃止して、強制的に人間にも自動運転車と同じような判断、動きをしてもらうしかないよ」キムがあっさりと言う。信号機の黄色が原因だから、それを取り除いてしまえば解決する、というアイデアだ。
レイもその案には概ね賛成だ。やがて一般道路を走る車が、自動運転中心になることは目に見えている。人間が自分勝手な判断をできないようにして、自動運転車が混乱しない道路交通法に改正するのは、自然かつ必然の流れだ。ただし「AIがスムーズに判断して動けるように、人間の動きを変えてください」という説明では、国民の反感を買うのは間違いない。日本人は、海外、特にアメリカからの変化に対しては諦めて受け入れるが、国内からの変化は、とりあえず反発してみる傾向がある。
黄色がない交差点にするために、具体的なシステムを考えてみた。自動運転車がどんどん増えていき、新人ドライバーも高齢者ドライバーも混在している状況で、いち早くひとつに絞らなければならない。他国でもルールが定まっていなかったが、現状ではベストだろうと、レイとキムで出した結論はこうだった。
交差点に信号機が立っており、それを遠くから眺めたタイミングで判断するから、人それぞれで動きが変わってしまい、AIも混乱する。この原因を解決するために、交差点に差し掛かる120メートル手前に信号機を移動して、信号機を通るタイミングで赤信号だったら必ずブレーキをかける。これであれば、自動運転だろうが人間ドライバーだろうが同じ判断になる。信号機は青から赤にいきなり切り替わるので、信号機を早く走り抜けようという発想も起きないし、赤でブレーキをかけなかったら即交通違反だ。
実験的に、渋滞が起きない程度の小さな町で導入してみた。
結果は良好、レイは手応えを感じた。自動運転車はもちろん、人間ドライバーであっても、信号機の下を通過するタイミングで赤ならば必ずブレーキをかける。そして黄色はない。このシンプルなルールによって、交差点の直前や交差点内での余計な判断がなくなった。
キムは実験エリアのデータを分析している。実験中という緊張感もあるだろうが、衝突事故は起こらず、現地観察でも問題は見当たらなかった。キムは自信満々だ。「黄色のない信号機を全国に広げていきましょう」と首相に訴えた。
徐々に実験エリアを広げた。交通量が多い道路で黄色がない信号機を導入すると、あちこちで大渋滞が起きるかもしれないという懸念が叫ばれたが、多くの人間ドライバーの予想とは異なり、大渋滞は起きなかった。
理由は2つ考えられた。ひとつは交通事故がほぼゼロになったことで、事故渋滞が起きなくなった。これはレイの読み通りだった。
もうひとつは、予想外にこのタイミングで高齢者ドライバーがどんどん自動運転車に買い替えたことだ。新しい信号機に慣れる自信がなくて、この機会に自動運転にしちゃえ、という具合だ。瞬間的に好景気になり、交通事故も減ったことで、内閣支持率は向上した。
レイは何年も、特命補佐官の立場から日本人を見ている。自然な流れで、日本人の強みとは何だろうか、と考えるようになっている。日本人は変化に対して抵抗感を持つものの、決断さえしてしまえば素直に従い、さらにどんどん改善してしまう。レイから見た日本人は、自分達の強みを自覚していないように感じられた。
今日もレイは自動運転車の助手席に座る。キムは自宅勤務、運転席はヒューマノイドだ。交差点内で何が起きるかわからない、という心配がなくなった。簡単なことだった。黄色なんて曖昧な警告を出すから、人によって判断が変わったり、状況によって青にも赤にもなってしまう。結果としてAIは、本来の能力を発揮できない。
「AIが困らないように、ルールを変えてあげればいいんだよ」
これが最近のキムの口癖になった。
黄色のない信号機が、日本全国の隅々まで、交差点の手前120メートルに設置された。誰もが道路交通法の改正に対応して、新しいクルマ社会を実感していた頃、世の中では意外な流れが起きていた。
それは、信号機の黄色以外にも曖昧なものを排除して、AIがスムーズに判断できることを最優先しよう、という世論で、それはキムが考えている理想の社会だった。夕食のメニュー、旅行先、仕事の選び方、恋人探しまで、AIが論理的に最適な回答を出し、それに従うような生活を送る国民が増えていった。
その一方で、曖昧な判断こそ人間らしいという価値観も生まれ、ゆっくりと答えを出したり、白黒つかないような意見をもっと大切にしようという動きも生まれつつあった。「AIのマリオネットさん、最近笑っていますか?」そんなスローガンも飛び出し、AIに対して懐疑論や不要論を唱える声も根強いものがあった。
「AI反対派の声って、どう思う?」
ある日、レイはキムに聞いてみた。
「わかってないだけだよ。AIに対して得体の知れない恐怖、そんなものがあるんじゃないかな。たぶんだけど、AIのおかげで助かった、みたいな強烈な体験があれば、掌を返したようにAI賛成派になるんだろうけど」
キムの言葉からは、AI反対派を見下しているような雰囲気すら感じられた。レイは正直な思いを、キムに伝えてみた。
「交通事故をゼロにするためにいろいろやってきたけど、AI賛成派と反対派で国民を二分してまで達成するべきミッションだったのかな?」
レイの考えは深まっている。信号機でいう黄色のような、はっきりしない中途半端な状態において、日本人は特別な能力を持っている。自分のこと、周りのこと、前後の流れを読んで判断したり、曖昧な態度を選ぶこともできる。一見すると、判断力も決断力がないように見えるが、結果的に誰も傷つけない抜群のバランス感覚を発揮する。AI賛成派も反対派も「日本人らしさ、日本人の強み」を議論することを忘れているように見える。キムが「やれやれ」といった様子で両手を上げて答える。
「何を言っているんだい。首相の背中を押すのも我々の仕事なんだから、話が進んでいるなら何よりだよ」
レイもそうであるように、特命補佐官は帰化した日本人から選ばれることになっている。対外的には、グローバルな視点を取り入れる目的であったが、実際のところは、日本人が苦手とする決断を支援する目的の方が大きい。レイが思うに、キムはこの目的を達成するにはうってつけだ。レイは自分のなかの黄色を感じながら言った。
「日本という国で、これほど考え方が二分するなんて珍しいな、と思っただけ」
AIと人間がタッグを組んで、課題を解決したことで、レイとキムは特命補佐官として大きな評価を受けた。経済対策、外交にもAIを積極的に活用するようになり、過去の事例に沿ったAIの判断を、論理的にそれっぽく言う、この必勝パターンを首相がマスターしたことで、無難な政権運営ができるようになった。
ところが舞台裏は、何をするにもAI頼みになってしまっている。AIのデータを慎重に分析して、最終判断を考えているうちに諸外国に追い抜かれてしまう。誰の目にも、リーダーシップが欠落していることは明らかだった。レイが見る限り、AI頼みの大臣が何人揃っても、有事に対抗することができるとは思えなかった。
「日本って歴史上、先制攻撃らしい先制攻撃を受けたことって、ほとんどないらしいね?」
レイは、独り言のようにキムに聞いてみた。
「日本軍が暴走したり、開戦しなければならない状況に追い込まれたことはあったかもしれないけど、先制攻撃されたっていう歴史は聞いたことがないな。急に何?」
キムは「なんでそんなこと気にしているんだ」と言わんばかりに、あっさり肯定して返した。国際会議の場でも、日本はAIを駆使しながら対応している。その場の結論としては無難に収まる。レイは胸騒ぎがしている。過去の事例にないようなアクシデントが起きた時に、日本人は対応できるのだろうか。レイはまた呟いた。
「何千年に渡って、なぜ日本は他民族に侵略されてこなかったのか、最近はそればかり考えているんだ」
AIの活用によって、誰よりも安心しているのは首相だったが、他国から見ると、日本の首相は誰であっても構わなくなり、関心を持たなくなってしまった。関心を持たないだけなら良かったが、歴史的にどうしても日本の領土を獲得したい大国にとっては、そのチャンスが到来していた。
その大国の出した結論はシンプルだった。
日本に北からゆっくり侵攻する、そして誰も傷つけない、これだけだった。北海道の最北端に揚陸艦隊を寄せて、次々と戦車を上陸させた。国際社会にまったく隠すことなく、警告や命令を聞かず、ゆっくりと戦車は侵攻を開始した。
首相だけでなく、日本国民は信じられない思いだった。レイの悪い予感は当たってしまった。日本は物理的に侵攻されている。
攻撃もせず、ゆっくり染み渡るように戦車が進んでくる。ここから何時間も経ってから、多くの日本国民が「日米同盟はどうなっているんだ」と思い出した。首相は「断固として非難する」と「あらゆる手段で対抗する」を繰り返している。あまりに同じことしか言わないので、国民は生中継なのか録画なのか区別できなかった。
国民の関心は、日本がどうするかよりも侵攻してきた大国よりも、アメリカの動向に向かいつつある。そのアメリカは「在日米軍や日本国民が直接攻撃を受けているわけではない。外交的に排除する努力をしてほしい」とメッセージを送ってきた。確かに日本の領土は侵されているが、誰の命も犠牲にならず、まるで北海道という盤面で静かにオセロがひっくり返っているだけのようにも見える。こんな時のための日米同盟のはずだが、アメリカが軍事衝突のリスクを抱えて撤退交渉をするはずがなく、かといって、アメリカが攻撃を仕掛けることで北海道が戦場になることは絶対に避けたい。アメリカのスタンスはもっともだった。
臨時国会が開かれたが、過去の事例にないことが国会を混乱させて、AIを無力化していた。丸2日の議論を経て、自衛隊を派遣し、武器使用する条件が整った頃、意外な展開が起きた。大国は侵攻を完全に止めてしまった。北海道の北半分が侵攻された状態、主要道路や空港は敵国の戦車が塞いでいる。
首相からは「レイとキムはどう思う?」と漠然とした質問が届いているが、戦争ともテロとも言えない状況を前に、2人も困惑していた。
「ここからの展開次第ですが、現状できることは外交的努力だけです」
レイは、こう答えるのが精一杯だったが、キムの第一声は驚きだった。
「向こうが攻撃してくれば、堂々と反撃できます。最前線で挑発しましょう」
確かにその案も考えられる。不謹慎な話だが、大国が大々的に攻撃してくれた方が迷わず反撃できるし、国際世論も味方につけることができる。このまま大国が侵攻を止めてしまったら、日本は小鳥のように非難をするだけで、何もできないことを世界に知らしめているようなものだ。大国が攻めてこないので、最前線に派遣された自衛隊は、どうしたら良いのかわからなくなっていた。
「レイ、ここからどうなると思う?」
北海道の最前線で指揮をとるリョウゴから、東京のレイにプライベート通信が入った。リョウゴは留学時代にレイの後輩だったこともあり、フォーマルな手順を無視して雑談のように意見を言い合う仲だ。
「ここまでの動きが大国の作戦通りだとしたら、相当高いレベルで日本を研究して準備したのだと思う」
質問の回答になっていないが、レイは正直な感想を伝えた。リョウゴは続ける。
「信じられるかい?ここから見渡す限り大国の戦車が並んでいる。いつでも撃ち合える距離だけど、そんなことが起きる気配はない」
最前線の風景を想像しながら、レイは答える。
「まさか大国がこんなことしてくるとは思わなかったし、アメリカが関わりたくないシグナルを早々に出したことも想定外だった。日本だけでどうにかするしかないかも」
「日米合同訓練なんてやってアピールしていたのに、あれは何だったんだろうな。領土を侵されているのに、国民全員がポカンとしているうちに攻撃するタイミングを失ってしまった、というのが実態だろうね」
自虐的にリョウゴは笑っている。日本は大国に対して、上手に警告を出すことすらできていない。
また臨時国会が開かれた。状況は複雑だ。すでに領土の一部を奪われている。ドローンを使って偵察する限り、敵軍は占領した地域で補給線を整えているだけだ。いつでも侵攻を再開できるはずなのに攻めてこない。
「これで終わらないよね?」
レイはキムに聞いてみた。
「もちろん。大国にはゴールイメージがあるはずだ。日本はこういう展開に慣れてない。首相が決断できるかどうかだと思う」
キムも同じ考えのようだ。首相は「どう思う?」なんて聞いている場合ではないのだ。
レイとキムで、最善のシナリオを考えた。かなり難しい状況だが、キムは相変わらず強硬案だ。レイは正直なところ、このまま時間が止まってほしいと願っていた。強硬案でこの状況を打破するためには、とにかく国民を引っ張るリーダーが必要だが、AIによる政権運営が自慢の首相に賭けるしかない現実に絶望しそうだった。
臨時国会では、どのように奪われた領土を取り戻すべきか、ゴールが見えない議論が行われていた。いくら向こうから攻めてきたとはいえ、戦う意思のない戦車に攻撃しても良いものだろうか、論点はそこに集中した。
レイは最前線のリョウゴに意見を求めた。
「例えばの話だけど、リョウゴの目から見て、一斉に先制攻撃を仕掛けたら、大国を追い払えると思う?」
「もちろん攻められるよりは、こっちのタイミングで攻撃した方が圧倒的に勝算は高いよね。戦略的な総攻撃も可能だ」
レイが想定していた通りの答えだ。さらに聞いてみる。
「もし首相命令で、大国に対して先制攻撃すべし、となったらリョウゴとしては立場上従うだろうけど、本音はどう?」
「これは難しいね。もちろん日本のプライドとして、ハエのように追っぱらいたい気持ちはある。故郷を奪われた方の気持ちを考えると、気の毒ではあるけれど、怒りとか復讐って感覚ではないかな。解決するにもできれば無血でいきたいね」
前代未聞の事態に、日本全体が思考停止になっている。どの分野の専門家も、日本国民が納得できる答えを出せる様子がない。AIの判断は「ステイ」だ。確実に言えることは、大国が攻撃を仕掛けてきたら、在日米軍や自衛隊が反撃することになり、少なくとも北海道全土が戦場になる。レイは心配になっている。いざとなったら、首相はその犠牲を払う勇気を持ち合わせているだろうか。
キムはキムで、AIが画面に映し出す「ステイ」に苛々を募らせている。AIが「ステイ」と判断する理由は明白だ。日本史上、前例がないこともあるが、憲法の縛りがあるので様子見の一択しかない。キムがレイに怒りをぶつかる。
「これでは思考停止の国会と一緒ではないか」
レイとキムは、首相に呼ばれて解決案を催促されている。レイは口にはしないが、このまま睨み合っている状態で、数十年が過ぎたとしても、最悪のシナリオよりはマシだろうと考えている。
レイが首相に提案する。
「首相が大国に行き、トップ会談で撤退を訴えるべきです」
首相はキムにも意見を求めた。
「トップ会談は非現実的です。合理的な要求があるなら、とっくにしているでしょうし、攻撃しない、何も言わないことでアメリカを牽制していると考えます」
さらにキムは続ける。
「日本としてどうするか、というポジションの前提を捨てるのも一手です。AIが判断できない以上、この国が日本ではないと考えることで、突破口が見つかるかもしれません」
レイは驚いた。キムは特命補佐官として、かなり突っ込んだ提案をしている。首相は黙って聞いている。レイがキムの言葉を言い換える。
「日本という前提条件を変えることで、AIが判断できるようにするっていうこと?」
「そういうことです」キムは首相に向かって即答した。
キムの発案で、ヨーロッパをはじめ、侵略の歴史が多い諸外国の歴史と憲法に基づいてAIに判断させてみた。レイにとって、何か気が乗らない業務だったが、実際にやってみると、どの国の憲法に当てはめても結論は同じだった。「現有戦力を総動員して、先制攻撃で一掃する」という、リョウゴの感覚と同じ結論だ。
一方で、最前線で構えている自衛隊のモチベーションが心配で、レイはリョウゴに連絡する機会が増えていった。
「こんなに自衛隊の心配をしてくれるのは、レイくらいかもな」
リョウゴは笑いながら続ける。
「こっちのもっぱらの話題は、どうすれば我々は英雄になれるのかってことかな。このままじゃ自衛隊は、野次馬に来ているマスコミと一緒だ」
レイは、リョウゴをはじめ、北海道の地で様子を見ているだけの自衛隊に対して、感謝の気持ちと申し訳ない気持ちが入り交じっている。レイは立場上、自衛隊が現地で暴走する可能性も念頭に監視しているが、リョウゴに対しては絶大な信頼を持っている。
自衛隊は、ひたすら国会の判断を待った。
現有戦力を総動員して、先制攻撃で一掃する。このAIの判断について、首相はまるで聞いていないかのように保留している。
「どうすれば、首相が先制攻撃の決断をするのか、レイも考えてくれよ」
最近のキムは、ストレスをレイにぶつけている。議論もアクションも進まない状態を、キムは何よりも許せない性格だ。レイが冷静に返事をする。
「まるで先制攻撃をすることが前提みたいね」
「当たり前じゃないか。ここで何もアクションを起こさなかったら、大国はやりたい放題になるよ」
「先制攻撃したら、それこそ大国はやりたい放題になるんじゃないの?」
レイの反論に、キムは立ち上がって答えた。
「だからこそ、反撃できないくらいの総攻撃で敵軍を叩いてしまうのさ」
レイは思った。確かにキムの考えは、戦略上はもっとも正解に近いだろうが、先制攻撃で敵軍を全滅させる作戦が成功するだろうか。攻撃するハードの問題だけではなく、国民性や日本人らしさ、そういった可視化できないソフトの面で、まったく日本人らしくない。このニュアンスをキムと共有できる気がしなかった。
各メディアが世論調査を何度も行っている。大国がいったん侵攻を止めただけに、大国の狙いを誰も絞れなかった。日本はもうおしまいだ、と絶望する意見もあれば、ただの脅しだからやがて撤退するだろう、と楽観する意見まで、日本国内の世論も大きく割れている。何といっても犠牲が出ていない。
「黄色だ」レイが言った。
「何のこと?」キムが答えたが、すかさずレイは続ける。
「北海道の地で、敵軍が黄色で加速するのか、ブレーキを踏むのか、見極めなければならないってこと」
「またその話に戻るの?」
キムが久しぶりにレイの前で笑っている。レイには別の思いがあった。このような微妙な状況、黄色信号のような状況において、情報を整理し、バランスを考えて最善策に着地させるのは、日本人の得意とするところではなかったのか。
「国内では誰も口にしないけど、このままの状態でうまくバランスがとれるなら、それでもいいんじゃないか、そう考えている国民が相当数いると思うんだ」
レイがキムにそう伝えたタイミングで、緊急連絡が入った。大国が宣戦布告をしてきた。30日後に、日本を四方から侵攻するという驚くべき内容だ。
レイは宣戦布告内容を改めて確認した。宣戦という言葉を使っているが、敵軍からは攻撃をしないらしい。在日米軍の基地を避けて侵攻するようだ。北海道の一部をそうされたように、進軍のみによって領土を奪うつもりだろう。おまけに、日本が攻撃したら反撃するという、立場が反対になったような、おかしなオプションまである。北海道に集まっている自衛隊を、30日で日本全国に再配置して、四方から攻めてくる敵軍に対応しなければならない。
日本の友好国と思われていた国々からは、次々とメッセージが届いている。
「私達は日本と共にあります」
「最新の攻撃用ドローンを送ります」
「ステルス戦闘機を貸し出します」
日本は国際的な同情を得ているものの「日本の判断を支援します」という、どこか他人事のような友好国ばかりだった。考えていた以上に、日本は孤立していたようだ。
レイとキムは、30日後を見据えて敵軍を迎撃する作戦を考えることになった。どうやって北海道の敵軍を押し戻そうと考えていたが、まさかの宣戦布告だ。レイは、30日間という執行猶予の期間について、改めて考えを巡らせていた。大国は本気なのだろうか。
キムは「間違いなく残り30日が最後のチャンスだ。先制攻撃をするべきだ」とレイに断言している。何度も議論した質問を、改めてキムに投げてみる。
「それこそ大国の思うつぼじゃないかな?」
「少なくとも、日本の正義として奪われた領土を取り戻すべきだよ。必要以上に戦争をする必要はない。犠牲は出てないんだから、領土さえ取り戻すことができればゴールだ。国際社会に向けて、侵略に対して一歩も譲らない姿勢を見せなきゃダメだ」
レイは、キムの方がよほど首相に見えると感心してしまった。この件に関しては、レイとキムは違う立場で解決策を考えているが、キムの熱弁を見ていると「首相って普通はこうだよな」と思わされた。
レイは「日本人らしい解決って何だろう」と悩んでいたが、結論は出そうにない。懸念はたくさんあるが、キムの先制攻撃案で、いかに成功するかを考えた方が良さそうだ。
「いったんキムの案を具体的に詰めて、首相にぶつけてみましょう」
とにかくやらなければならないのは、憲法改正の準備だ。
レイは、先制攻撃案にいくつかの懸念があった。もちろん作戦が成功して、大国が撤退するかどうかもあるが、先々の不安もある。「AIの判断がそうだから」であったり「他国だったらそうするから」という理由で国民投票を行って、憲法改正と先制攻撃に進展したとしても、果たしてうまくいくだろうか。ひょっとしたら奪われた領土を取り戻せるかもしれないが、日本という国の実体がますます弱くなる予感もあった。
「日本国憲法って何なの?」
思わず声に出してしまい、キムを驚かせてしまった。
「レイもついに、先制攻撃案に前向きになったの?」
「キム、提案があるんだけど。確かに今の憲法のままでは何もできない。だからといって、ここが日本でなかったら先制攻撃するっていうAIの判断を公表すれば、日本の憲法は役に立たない飾りだったことになる。首相にはAIの鎧を脱いでもらおうと思う。私に任せてくれないかな」
2人は首相官邸に向かい、内密に打ち合わせをする機会を得た。
「首相、結論から申し上げます。このタイミングで先制攻撃をしないと、取り返しがつかないことになります」
レイの提案を、首相は黙って聞いていた。
「この状況を多くの他国に当てはめてシミュレーションをしてみると、AIの答えは一択です。このタイミングで先制攻撃、総攻撃です」
「いよいよ憲法改正が必要ということか?」
首相が聞いてくる。
「そうです。難しいのは、このAIの判断は、他国の憲法を当てはめてシミュレーションを行った結果です。まさか、他国の憲法ならこうです、とも言えません。首相が感情を爆発させて訴えた方が確実に伝わります。北海道を取り戻そう、侵略は許さない、のような直感的な怒りを共有することが重要です」
「私が怒ったところで、国民が賛同してくれるだろうか?」
弱気な問いに対して、レイは即答した。
「多くの国民は、どう考えるべきか迷っているはずです。友好国も頼りになりません。国民は答えを必要としています。私にはその気持ちがわかります。国民に賭けましょう」
国民投票を行い、自衛隊がトップの意思で武力を使えるように憲法改正を行うしかない。首相は同意してくれた。
「よりによって、自分の時にこんなことになるなんて」
「首相、このままではこのままです」
キムが堪らずプッシュする。
国民の前ではとても口にできないコメントを漏らした首相が哀れで、レイは同情してしまいそうだった。
「AIが先制攻撃、そして総攻撃と言うならやってみよう」
これが一国の首相の決断だった。
臨時国会では、首相を支持して憲法改正を推す議員もいれば、当然のようにNOを突き付ける議員もいて、一向に話が進まなかった。
「いったん衆参両院を通過させてしまって、国民に判断してもらう、これが首相である私の方針だ」
この国民投票丸投げ案は、キムの発案だったが、臨時国会では狙い通り各党を説得することができた。その直後、国民に向けた会見で、首相は拳を振り上げた。
「国会で議論している猶予はない。いち早く国民投票で審判を仰ぎたい。今こそ憲法を改正して、日本国民の命と財産を守ろう」
レイのシナリオ通りに、首相は言いたいことだけ言って、一方的に話を終わらせてしまった。レイは「首相なりに頑張っている」と苦笑するしかなかったが、30日しかないことが幸いし、一気に国民投票が決まった。
レイはリョウゴに連絡した。北海道から九州に異動して、大国からの上陸に備えている。
「リョウゴ、もうすぐ国民投票で憲法改正が実現する。おそらく敵軍は、また揚陸艦を使って上陸してくるだろう。ただ迫ってくるだけの相手に対して、なるべく被害を与えずに、こちらの被害も最小限で攻撃する。そんな絶望的な作戦になるけど大丈夫?」
「自衛隊は、ブルドーザーを集めて日本版万里の長城を作る作戦でいくよ。それは冗談として、レイは知らないかもしれないけど、日本は武士社会だった頃に、ユーラシア大陸から来た騎馬民族に攻められたことがあるんだ。まさに今いる九州沿岸が戦いの舞台だった」
「日本はどうしたの?」
「戦闘においては、圧倒的に劣勢だった。だけど夜になり、その民族はいったん船に退避したんだけど、夜中のうちにほとんどの船が嵐で沈んでしまったんだ。その嵐がなかったら確実に負けていたはずだ。レイも聞いたことあるんじゃないかな、これがカミカゼだ」
「まさかこの時代に、カミカゼ頼みの作戦ではないんでしょ?」
「正直なところ、カミカゼでも起きて大国の気持ちが変わればいいなと思っている。インベーダーゲームじゃあるまいし、ただ迫ってくるだけの相手を攻撃するのはどうなんだろうか、これが自衛隊の本音だよ」
日本による一方的な攻撃になったとしても、領土を守ることが最優先であると、キムは考えている。自衛隊にとって先制攻撃は抵抗があることだろう。そう考えていたレイにとって、その後に続いたリョウゴの説明の方が、カミカゼのエピソードよりも印象に残ってしまった。
「二度のカミカゼで日本は守られたわけだけど、結局当時の政権は潰れてしまった。命を犠牲にして、敵を追い払ったけど、それに対する報酬を与えることができなくて、集められた武士の不満が爆発したんだ」
世間では、この期に及んで「本当に大国は攻めてくるのだろうか?」という疑問の声が大きくなってきた。結局のところ、ここまで大国の侵攻による死者数はゼロ。領土を奪われ、北海道の故郷を追い出された市民はいるが、犠牲らしい犠牲はそのくらいだった。
「このままでは日本の歴史が終わってしまう。国民が一致団結して戦う時だ」
首相は訴えた。外交を重ねたが「さすがに大国も、日本を潰すようなことはしないのではないか」であったり「むしろ日本が先に攻撃してしまったら、一斉に大国の総攻撃を受けることになるだろう」といった慎重論が目立つようになってきた。
国民投票の日になった。日本は国防において、前に進むのか、立ち止まるのか大きな分岐点に立っている。首相が軍服でカメラの前に立つ。
「いち早く北海道を奪還する。そして、日本各地から上陸するであろう敵軍に対しては、先制攻撃することで領土を守る。そのために憲法改正を行う」
選挙演説なんかより、よほど熱弁を連日繰り返すので、提案したレイから見ても、首相自身が本心で言っているような気がしてきた。
投票結果が明らかになった。
投票率9%、反対票の方が僅かに多かった。しかし、あまりの投票率の低さにより、事実上無効のような結果になった。ほとんどの国民は「決められない」という結論を出したことになる。
キムがレイの方を向いて言う。
「完全にやられたよ。この状況を待っていたんだ。国民投票ができる充分な期間を与えることによって、憲法改正のチャンスを与える。国民投票を行うが決まらない。ますます先制攻撃はできない」
レイを非難しているような口調だった。ここまで大国が計算していたのであれば、してやられたことになる。先制攻撃をするのであれば、憲法改正を待たずに首相が強権的に決断するしかなかったのだ。あの首相ができるはずがない。
国民は生活必需品を確保したり、内陸に移住したり、自分達のためにできることを始めている。
「キムの言っていた通りかも」レイは続ける。
「万事休すとは、こういう状態のことを指すのかな」
「いや、まだ先制攻撃する方法があるはずだ」
キムはこの期に及んで、先制攻撃する作戦を考えている。レイは考えた。日本全土を侵略されるような歴史的な経験があれば、国民投票の結果は大きく違っていただろう。ほとんどの日本人が、国家の存亡をかけた国民投票を棄権するとは、さすがに思わなかった。落ち込んでいるレイを、キムが珍しくフォローするように言った。
「北海道だけで済んで、黄色のままならいいのに。国民は内心そう思っていたんだ。まさに想定外だ」
首相も国民に対しての訴えをやめてしまった。この一連の流れから、未来の人々は学ぶことがあるだろうか。レイは無力感でいっぱいだった。大国は武器を使わずとも、ぬるいバターを切るようにスムーズに日本を侵略することだろう。
残り2日で30日間の執行猶予期間が終わろうとしている。日本全国の沿岸に、大国の揚陸艦隊が集まってきている。在日米軍基地から離れた、貿易拠点をターゲットにしているのは明らかだ。空母や戦艦は来ていないので、攻撃してくることはないようだ。レイにはそれが唯一の救いだった。そろそろ戦車で上陸する準備に入ることだろう。
リョウゴからレイにプライベート通信が入った。
「手詰まりになって落ち込んでいるかい?また忙しくなるだろうから、今のうちに伝えておくけど、カミカゼの準備が整った」
「落ち込むわけないでしょ。私もキムも、どうやって反撃するか考えている」
落ち込んでいるのは図星だった。リョウゴは笑って続ける。
「それはそれは失礼」
「それよりカミカゼって何?」
「驚かないでくれよ。明日になったら自衛隊から公式発表をするけど、レイには先に伝えておくよ。カミカゼでこの局面を突破する」
レイは何かの冗談を言っているのかと思ったが、リョウゴは真面目な口調に変わった。
「いくらレイとの仲でも、これ以上の情報を伝えるわけにはいかないが、もう何もしなくて大丈夫。信じてもらいたい」
「何を言ってるのかわからない」
「そりゃそうだろうけど、とにかく何もしなくて大丈夫になる。そしてレイとキムがさらに重要な存在になるはずだ」
リョウゴは通信を切ってしまった。何もしなくて大丈夫、の意味がさっぱりわからないが、絶望的なこの数日間で、レイは久々に明るい声を聞いた気がする。
翌朝になった。
「日本は核ミサイルを保有しています。すでに原子力潜水艦に搭載しており、地球全土が射程圏内に入っています」
自衛隊による会見が、全世界に流れている。
「もちろん日本国憲法、非核三原則に反しているので、自衛隊の独断と責任において準備を進めてきました。他国や関係機関からの警告は大いにあるでしょうが、日本の歴史が途絶えることを避け、世界秩序を守るには、これが唯一の手段です」
会見は二分で終わった。自衛隊は核ミサイルをどうやって手にしたのか、何に使うのかは一切伝えていない。その攻撃範囲と責任範囲を説明しただけだ。
「まさか」レイは呟いた。「寝て覚めたら、こんな展開ってある?」
侵略を受け入れる、または先制攻撃をする、この二択で考えてきたレイとキムだったが「この手があったか」と素直に驚いた。レイはリョウゴとの会話を思い出しながら、会見の内容を振り返った。目の前でやすやすと敵軍が侵攻すれば、自衛隊の面目は丸潰れだし、先制攻撃をすれば、必要悪とはいえ、武器を持っているかわからない泥棒にいきなり発砲するようなものだ。
「どうしたものか」
首相がレイとキムに相談した。キムは相変わらず「先制攻撃できる準備は常にしておくべきです」の一点張りだ。レイも続けて答える。
「他国の反応を見てみましょう。日本が一斉に非難を浴びるのであれば、大国はそれに乗じてくるでしょう。迷わず反撃です。静観していたら、大国は撤退する可能性が高いです」
レイは、アメリカをはじめ世界中の国々は、何も言ってこないだろうと予測していた。今回の侵略を許してしまうと、大国は同じ手段でまた領土を広げにかかるだろう。その様子を見て、後に続く国も出てくる。世界地図が秩序なく塗り替えられるのは目に見えている。他国の反応を待つという判断は、特命補佐官として相応しくないかもしれないが、リョウゴの言葉を信じてみることにした。
世界中のトップニュースで、日本が核ミサイルを保有していることを扱った。その事実だけにフォーカスして、それに対して肯定も反対もせず、アップデートされた世界のパワーバランスを解説している。レイには、各国トップの「日本よくやった」が聞こえてきそうだった。日本にとって核の話題はデリケートな扱いであったが、大国が侵攻した出来事によって、飛び級のように核保有国となった。
日本各地から揚陸艦隊が去った。北海道の北半分に待機していた敵軍も撤退して、1週間もすると何事もなかったかのように、日本は元の姿を取り戻した。国内は沸き立ち、自衛隊の独断に対しては多くのマスメディアが賞賛した。まさかの大逆転でゲームをひっくり返した国民は、実感として「核の抑止力」を共有していた。自衛隊も元の駐屯地に戻ることになり、レイの緊張感が一気に解けた。
「どうだい、何もしなくて大丈夫だっただろ?」
リョウゴから連絡が入った。
「ありがとう」
レイは涙が止まらない自分に驚いた。
「特命補佐官レイ、核の盾に感謝する、面白い展開だね」
「そうじゃない。自衛隊に驚いたの。感謝している」
「最終手段しかないって、自衛隊の中では結論が出ていたよ」
「こっちは国民投票までやって、絶望していたのに」
「極端に白黒つけるのは日本人には無理だよ。前に進めば戦争になる、後に引けば占領される。このまま膠着してくれたら、最悪それでもいいって国民の多くが思っていたはずだ」
リョウゴの言葉は、言われてみれば納得できる。日本人だからこそ思いついた最終手段だったのだ。核保有が正解なのか、この後日本はどこを目指していくのか、考えることは山ほどある。レイには確かめたいことがあった。
「自衛隊とか日本人は、核をタブーにしていると思い込んでいた」
「もちろん、核の犠牲になった悲惨な記憶は消せるものではない。だけどこのまま世代が変わってしまったら、核はタブーという空気だけが残ってしまう。その方が問題だよ」
「そうだったんだ」
「危機を乗り越えたのに、がっかりするなよ」
リョウゴは笑っている。
「核保有国から来たレイでなければ、核保有国としての外交を考えるのは難しいと思う」
いつかリョウゴに聞いたエピソードを思い出した。せっかくのカミカゼだけど、これで日本国内がバラバラにならないようにしなければならない。世界の中で、日本は自ら新しいパワーバランスを構築したことになったが、日本ならうまく立ち回れる気がしている。
「自衛隊の在り方も考えなきゃね」
多くの難題が待ち構えているが、レイはこの国の特命補佐官として、初めてワクワクする衝動を感じている。
終