あ.い.さ.つ.blog

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【黄色い問題】前編

内閣特命補佐官のレイは、毎週首相に報告をすることになっていた。

「前回の続きですが、AIによる自動運転のトラブルについて報告します」

「続けてくれ」

首相は数々の難題を抱えているが、自動運転に関する法整備もそのひとつだ。

「自動運転に関する事故は、相変わらず交差点内に集中しています」

レイが説明する。

「AIはどうしろと言っているんだ?」

さすがにAIだって、結論まで出せないことを知っているはずだが、首相は結論を聞きたがる。

「交差点の形状や交通量、地域に関わらず、ほぼ一定の割合で自動運転プログラムにエラーが発生して、緊急ブレーキをかける現象が起きています。抜本的な対策が必要です」

「例えば?」

「まだわかりません。ただし、現在のデータを当てはめると、どれだけシミュレーションをしてもエラーは発生して、そこに人間ドライバーが追突することになります」

レイの隣で、同じく特命補佐官のキムが割り込む。

「現在行っている公道での検証実験が一区切りしましたら、解決案を掲示します」

 

レイとキムの2人だけになった。

「まったく素人は、AIがすぐに答えを出せると思っている。首相が本気で聞いているのか、冗談で聞いているのか、まずはそれを聞いてみたいよ」

長い議論を好まないキムが、不満をぶつける。

「首相としても、自動運転が普及すれば事故が減るって散々言ってきたから、そろそろ焦っているんでしょ」

レイも内心焦っている。

高速道路を自動運転車が走る分には、多くの人間ドライバーは歓迎した。交通マナーは完璧、無理な追い越しや割り込みをすることもない。

公道上でも、自動運転の実現は時間の問題と思われたが、意外な落とし穴が交差点の信号機にあった。黄色の存在だった。信号機が黄色になると、自動運転車は律儀にブレーキをかけて停車したが、人間はそうもいかない。

 

レイは、今日も自動運転車の助手席に乗る。自動運転を前提とした道路交通法の改正を行い、安全性をさらに高めることがミッションだ。運転席にはキムが乗る。いつものレイアウトだ。

様々なIT企業が自動運転の技術を開発したが、なかなか公道での事故が減らず、AI学習の限界論まで飛び出すなかで、レイとキムは信号機の黄色が混乱を招いているという仮説を立てていた。

「東京都庁を出発点にして、渋滞率が60~80%の公道を60分走って、また東京都庁に戻る」

キムが自動運転車に話しかけて、静かに走り出した。レイにとっては、交差点で起きる事故くらいさっさと解決できないようじゃ、無人の自動運転車なんて100年経っても実現不可能だろうと思えた。

渋滞率75%の繁華街を走る。

自動運転車が数台に1台は走っている。もうすぐ大きな十字路だ。信号が黄色に変わる。レイのすぐ目の前を走っていた車は、そのまま減速して停車する。その隣の車線では「赤にならなきゃセーフでしょ?」と言わんばかりに加速して、ギリギリ赤信号に変わる前に交差点を渡り切っていた。レイが自動運転の検証実験をしていると、こんな光景ばっかりだ。

しばらく走った先の交差点で、信号が黄色に変わった。さっきは丁寧にブレーキをかけていた目の前の車が、一度減速したと思ったら急加速して、どうにか交差点を渡り切った。自動運転車が世に出回った頃は、人間の不思議な判断や動きでさえも、AIに覚えさせてしまえば、いつかは交差点のトラブルは減るだろうと思えたが、現実は簡単ではなかった。

キムが発案して、人間ドライバーに行ったアンケート結果は、レイに衝撃を与えた。

まさか過半数の人間ドライバーが「自動運転車とは一緒に走りたくないほど、動きが不自然だ」と言い出すとは予想外だった。警察や保険会社が、事故を起こした車のドライブレコーダーを検証しても、当然のように自動運転車は道路交通法を守っている。人間ドライバーの方に過失があるということで、全件落着するはずだった。人間ドライバーの主張は

「あんなタイミングでブレーキを踏んだら、追突するに決まっている」

「黄色になったとしても、早く渡り切った方が安全なケースがある」

このように映像だけでは判断できず、数字でも表せない反論が収まらなかった。

レイが自分の手で運転していた頃は、無理な割り込みをしてきた車に対して、危ない車だから距離を取ろう、と避けて走っていたが、キムに聞いたら「迷わずクラクションを鳴らす」と言っていた。レイが想像している以上に、人間は感情的に判断して運転しているらしい。

 

もう何週間もレイは、キムの隣であちこちを走り、望遠カメラを使って対向車を走る人間ドライバーの目の動き、顔の動きにフォーカスして観察している。キムは運転席に座り、自動運転と手動運転を切り替えながら、レイと議論を進める。信号機の黄色について、何十回話し合っただろうか。

人間は交差点で黄色になると

①停止線で停まれるスピードなのかを確認

②急がなければならない状況なのかを確認

③他の車がどのような反応をするかを確認

驚くべきことに人間は、この3つの確認を一瞬にして同時に行っているようだ。さらに、赤信号のタイミングでちょっとやっておきたい用事があるなら、積極的に停まることもあるから、論理的には説明できない。

「信号機の黄色をなくして、強制的に人間にも自動運転車と同じような判断、動きをしてもらうしかないよ」

信号機の黄色が原因だから、それを取り除けば良いとキムが言う。

レイもその案には概ね賛成だ。やがて公道を走る車も、自動運転車ばかりになることは目に見えている。人間が自分勝手な判断をできないようにして、自動運転車が混乱しない道路交通法に改正するのは、自然かつ必然の流れだ。ただし「AIの動きに合わせて人間の動きを変えてください」という説明では、国民の反感を買うのは間違いない。

論理的に出た結論を、誰でもわかる仕組みに分解する。そして、国民に理解してもらえるように首相に説明してもらう、ここまでが首相特命補佐官の仕事だ。

 

黄色がない交差点にするために、どのようにルールや仕組みを変えていくのか。

黄色である時間が少しずつ短くなるように設定して、最終的には青から赤に直接切り替わるようにする。

特定エリアで実験的に黄色がない信号機を導入してしまい、徐々に日本中に広げていく。

黄色信号に対する取り締まりを厳重にして、黄色でも停車しなければならない雰囲気をつくってしまう。

電車のように交差点は踏切にしてしまう。

どの案もメリット、デメリットがあるが、自動運転車がどんどん増えていき、新人ドライバーもベテランドライバーも混在している状況で、いち早くひとつに絞らなければならない。

レイとキムで出した結論はこうだった。

交差点の50メートル手前に信号機を配置して、信号機を通るタイミングで赤信号だったら必ずブレーキを踏む。これであれば、自動運転だろうが人間の運転だろうが、必ず同じ判断になる。信号機は青から赤にいきなり切り替わるので、信号機を早く走り抜けようという発想も起きないし、赤でブレーキをかけなかったら即交通違反だ。街頭カメラが捉えているので、言い訳もできない。

実験的に、渋滞が起きない程度の小さな町で導入してみた。

結果は良好、レイは手応えを感じた。

自動運転車はもちろん、人間ドライバーであっても、信号機の下を通過するタイミングで赤なら必ずブレーキをかける。そして黄色はない。このシンプルなルールによって、交差点の直前や交差点内での余計な判断がなくなった。

キムは「黄色のない信号機を全国に広げましょう」と首相に訴えた。

徐々に実験エリアを広げた。交通量が多い道路で黄色がない信号機を導入すると、あちこちで大渋滞が起きるかもしれないという懸念が叫ばれたが、多くの人間ドライバーの予想とは異なり、大渋滞は起きなかった。

理由は2つ考えられた。ひとつは交通事故がほぼゼロになったことで、事故渋滞が起きなくなった。カーナビのさらなる進化で、渋滞が予測される道を選ぶことはなくなった。渋滞の原因は交通事故が主なものだったが見事に解決された。これはレイの読み通りだった。

もうひとつは、レイやキムには予想できなかったが、このタイミングで人間ドライバーが、どんどん自動運転車に買い替えたことだ。新しい信号機に慣れる自信がなくて、いっそのこと、この機会に自動運転にしちゃえ、という具合だ。

 

レイは、今日も自動運転車の助手席に座る。キムは自宅勤務、運転席はヒューマノイドだ。交差点内で何が起きるかわからない、という心配がなくなった。簡単なことだった。黄色なんて曖昧な警告を出すから、人によって判断が変わったり、状況によって青にも赤にもなってしまう。結果としてAIが充分に機能しない。

「AIが困らないように、ルールを変えてあげればいいんだよ」

キムも強い確信を得ていた。

 

黄色のない信号機が、日本全国隅々まで、交差点の手前50メートルに設置された。誰もが道路交通法の改正に対応して、新しいクルマ社会を実感していた頃、世の中では意外な流れが起きていた。

それは、信号機以外にも曖昧なものを排除して、AIが正しく判断できることを最優先しよう、という大きなムーブメントで、キムの考え方に近いものだった。不思議なもので政権支持率も急上昇した。

過去の事例に沿ったAIの判断を、論理的にそれっぽく言う、首相はこの必勝パターンを覚えてしまった。まったく発言に特徴のない内閣は、誰が何大臣でも構わないという、AI頼りで個性の欠片もない集団になっていった。

その一方で、社会の足元では、曖昧な判断こそ人間らしいという価値観も生まれ、白黒つかないような考え方や意見をもっと大切にしようという動きも生まれつつあった。「AIに従った毎日なんて楽しいですか?」そんなスローガンも飛び出し、AIに対して懐疑論や不要論を唱える声も根強いものがあった。

「AI反対派の声って、どう思う?」

ある日、レイはキムに聞いてみた。

「わかってないだけだよ。AIに対して得体の知れない恐怖、そんなものがあるんじゃないかな。たぶんだけど、AIのおかげで助かった、みたいな強烈な体験があれば、掌を返したようにAI賛成派になるんだろうけど」

キムの言葉からは、信号機の黄色をなくしたことに、まったく迷いが感じられなかった。

レイのミッションは、道路交通法の見直しや安全性の向上だったが、その過程で信号機の黄色を廃止するプロジェクトに移行した。黄色がなくなったことで、ますます自動運転プログラムの精度が上がり、表面的には大成功したが、レイには懸念があった。

レイは正直な思いを、キムに伝えてみた。

「交通事故をゼロにするために、いろいろやってきたけど、AI賛成派と反対派で国民を二分してまで達成するべきミッションだったのかな?」

レイが見る限り、信号機でいう黄色のような、はっきりしない中途半端な状態において、日本人は特別な能力を持っている。自分のこと、周りのこと、前後の流れを読んで曖昧な態度を選ぶことができる。一見すると、決断力がないように見えるが、結果的に誰も傷つけない抜群のバランス感覚を発揮する。AI賛成派も反対派も、そのことについては触れていない。

キムが「やれやれ」といった様子で両手を上げて答える。

「首相の背中を押すのが我々の仕事なんだから、話が進んでいるなら何よりだよ」

レイもそうであるように、特命補佐官は帰化した日本人から選ばれることになっている。対外的には、グローバルな視点を取り入れる目的であったが、実際のところは、日本人が苦手とする決断を支援する目的の方が大きい。

日本人をよく観察しているうちに、レイは自分のなかの黄色を感じるようになっていた。